東山道

東山道は、近畿地方と東北・関東地方をつなぐ古代の街道で、8世紀には『続日本記』の中で、中津川から阿智村に抜ける道が登場しています。

この道は、標高1569mに及ぶ神坂峠を抜けなければならず、古の旅人たちにとっては非常に過酷な道でした。

そして、この道を通過した先も、これまでの平坦な旅路とは違う、日本の中央部の深い山々を進み続ける必要がありました。そのため、人々は日本でも珍しい峠の祭祀機構であった神坂峠遺跡で、旅の安全を祈願したと言われています。


Route1:湯舟沢-神坂峠ルート

湯舟沢は標高454m地点に位置し、落合宿から4.5kmほど南に向かった東山道沿いのルートにあります。

ここは、温泉や宿泊施設があり、神坂峠(1569m)に向かう出発地点となります。

風穴(自然の冷蔵庫)

このあたりで養蚕が盛んであった明治から大正にかけ、秋用の蚕の卵を低温保存するために作られたもので、 養蚕に適した海抜800~1500mの神坂峠周辺で、30あまりの風穴(ふうけつ)が築かれています。

落合川の岸に刻まれた「聻」の文字

落合から東山道を神坂峠に向かって登っていくと、落合川の岸に「聻(しゃく)寛保元年酉三月」と掘られた 石碑があります。「人が死ぬと鬼となり人が恐れ、鬼が死ぬと聻となり鬼が恐れる」と言われ、寛保(1741 年・江戸時代中期)の新道の架橋に際し、魔除けか鬼門抑えとして置かれたのではないかとみられています。

神坂峠遺跡

古代の道として知られる「東山道」の道が整備された時期は正確には分かっておらず、『続日本記』で見られる「岐蘇山道」(きそのやまみち:702 年開通)、「吉蘇路」(きそのみち:713 年開通)が開通する以前には通っており、少なくとも 8 世紀初頭には駅(宿駅)が整備されていたとされます。

この東山道の難所として知られていたのが「神坂峠」ですが、1921年以降の発掘調査により、勾玉、管玉、棗玉、臼玉などの石製模造品、須恵器、土師器、緑釉陶器、灰釉陶器などが出土しており、日本で数少ない峠に存在する祭祀機構の遺跡として、古墳時代から古代・中世におよぶ峠神祭祀の代表的な遺跡となっています。

Route 2 : 阿智ルート

神坂峠を抜けると、阿智村に向けて道を下ることになります。

ルートは、美しい森を通りますが、それは長い道のりの出発点でもあるのです。

現在のハイキングルートは整備され、快適なハイキングが楽しめます。

信濃比叡 廣拯院

東山道最大の難所であった「神坂峠」を越える旅人の苦難をみかね、天台宗開祖の最澄により、無料の宿泊所として廣拯院は建てられました。

また、阿智側の廣拯院と併せて、中津川にも同様に広済院が建てられたとの記述があるものの、どこにあったかは定かではありません。

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